MENU

現役世代の孤独死を防ぐには

現役世代の孤独死を防ぐには
目次

はじめに:孤独死は他人事ではない

誰にも看取られず、自宅でひっそりと命を落とす──そんな「孤独死」と聞いて、どんな人を思い浮かべるでしょうか。おそらく多くの人が、高齢で一人暮らしをしている年配者の姿を想像するかもしれません。

しかし現実には、孤独死は高齢者だけの問題ではありません。

2025年2月に連載特集された朝日新聞の記事によれば、2023年に警察庁が初めて発表した孤独死の全国統計で、孤独死とされた人のうち、およそ4人に1人が15歳から64歳までの「現役世代」だったことが明らかになりました。これは、年金受給世代ではない私たちの世代にも、深刻な孤立のリスクが広がっていることを示しています。

その実態を象徴する出来事が、2022年、大阪で起きました。

朝日新聞の記事によれば、亡くなったのは42歳の男性。無職、独身で両親はすでに他界し、きょうだいもおらず、周囲との交流もほとんどありませんでした。彼が暮らしていた古い一軒家では、食べ物もなく、通帳の残高は百数十円、財布に現金もない状態だったといいます。

遺体が発見されたのは、死亡から1年以上が経過した後の2023年10月。すでに白骨化が進んでおり、事件性はないとされました。遺骨は今も引き取り手がないまま、丘の上にある納骨堂にひっそりと眠っているそうです。

朝日新聞の記事では、この男性が特別な事情を抱えていたわけではなく、誰にでも起こり得る「典型的な孤独死のケース」とされています。学歴があり、資格も取得し、就労経験もある。それでも、いつのまにか社会から見えにくい存在になり、誰にも気づかれず、助けも届かずに命を落としていったのです。

孤独死はもはや、高齢者特有の問題ではありません。支援の網が届きにくく、社会とのつながりを築く機会も少ない現役世代こそ、見過ごされやすいリスクを抱えているのです。

今回、朝日新聞が報じた実例や専門家の見解をもとに、現役世代の孤独死がなぜ増えているのか、どのような背景があるのか、そして私たちが今できることについて考えていきます。

孤立しきった42歳男性の最期

孤立しきった42歳男性

無職・独身・親を亡くした男の人生

大阪府北部の住宅で発見されたのは、42歳の独身男性だった。地元の小中学校を卒業後、一人っ子として両親と暮らしていたが、母親が2005年に亡くなったのを機に突然姿を消し、それ以降は親族との連絡も途絶えていたという。父親はその後も一人暮らしを続け、地域との関わりも希薄なまま2021年に死去。男性はその翌年、自宅で死亡したとみられている。職業は「無職」とされていたが、若い頃にフォークリフトの技能講習を受けていた記録や、建設業関連の登録証が見つかっており、一時的には働いていた可能性もある。ただ、その足跡をたどれる人は誰もいなかった。

1年以上発見されなかった「気づかれない死」

男性の遺体が見つかったのは、死亡から1年以上が経った2023年10月のことだった。朝日新聞の記事によれば、当時の室内には食べ物がなく、財布の中に現金もほとんど残っていなかった。遺体は白骨化しており、腐敗が進んでいたため死因も特定されていない。家の玄関先には背丈を超える草が生い茂り、ガスメーターには「ガス止」の表示。近隣住民は父親が亡くなったあと、男性の存在に誰も気づいていなかったという。地域の中でもこの家族は近所づきあいがほとんどなく、亡くなった男性の暮らしぶりを知る者は皆無だった。遺体が見つかったのは偶然とも言える遅すぎるタイミングで、もし誰かが気づいていれば助かっていた可能性もある。

「見えない孤独」の正体

男性は特別な「問題を抱えた人物」ではなかった。朝日新聞の記事では、同級生の話として「一人が好きなタイプではなかったと思う」「誘えば一緒に遊んでいた」と語られている。学校生活でも特に目立つ存在ではなく、静かでおとなしい少年だったようだ。しかし、社会に出たあとも人とのつながりを築くことが難しく、やがて誰とも連絡を取らなくなっていった。これは「見えない孤独」の典型だ。見た目には問題がないため周囲が気づかず、支援にもつながらない。福祉の枠からも外れ、誰にも知られずに社会から滑り落ちていく。このような孤立は、本人にも自覚がないまま進行することがあるため、より深刻だと言える。

支えのない人生と断絶された社会との接点

家族、地域、行政。そのどれからも孤立していた男性の最期は、「支えの不在」がもたらしたものだった。朝日新聞によれば、男性が父親とともに同居していたとされる時期、地域の見守り活動の一環で父親と接触していた近隣住民ですら、男性の存在にはまったく気づいていなかったという。親族も「どこでどう暮らしていたか分からない」と語る。社会との接点が完全に絶たれていたこの状況は、孤独死のリスクを高める最大の要因だ。行政支援にもつながらず、近隣からも見放されてしまえば、命が危機に瀕していても誰も気づけない。結果として、支援の網をすり抜けたまま、誰にも知られずに亡くなるという最悪の事態を招いた。

サイト管理人

この42歳の男性の死は、決して「特殊なケース」ではなく、今の社会が生み出したごく自然な結果でもあります。孤独は、すでに「日常のリスク」です。この実例が私たちに突きつけているのは、「無関心」の怖さと、「誰もが陥りうる現実」なのだという事実です。

孤独死を見越す44歳女性の選択

孤独死を見越す44歳女性の

就職氷河期が残した「働く孤独」

朝日新聞の記事によれば、千葉県に暮らす44歳の女性・エミさん(仮名)は、大学卒業後の2003年に就職氷河期に直面し、希望していた出版社や大学事務職の採用には漏れ、40社以上の不採用通知を受けて就職活動を終えた。ようやくたどり着いたのは、非正規の図書館司書という道だった。20年以上、図書館で働き続けているが、月収は15万円弱。副業のライター収入を合わせても年収200万円には届かない。職場の人間関係は薄く、同僚と交わすのはあいさつや天気の話程度。家族とも疎遠になり、仕事以外の人間関係はほぼ皆無の生活が続いている。正社員としての安定も、家庭も持てなかったという事実が、彼女の孤独の根にある。

孤独死を避けるための「登録」

エミさんが孤独死を強く意識するようになったのは、大きな病気がきっかけだった。子宮筋腫が悪化し、手術を受けた後、約2週間、家で一人で過ごした。記事によれば、その間、自分が倒れても誰にも気づかれないのではないかという不安が頭をよぎったという。実際、日常的に会話を交わす相手も連絡を取る相手もおらず、LINEに届いた安否確認メッセージに「OK」とタップすることでしか、生きていることを誰かに伝える術がなかった。彼女は、東京都江戸川区のNPO法人「エンリッチ」が提供する見守りサービスに登録する。LINEでの簡易な安否確認システムは、彼女にとって「自分が死んだことを誰かに気づいてもらう」唯一の仕組みとなっている。

「死にたいわけじゃないけど、死ぬ覚悟はある」

エミさんは現在、毎月の収入の3分の1以上を家賃に充てながら生活し、月3,000円の貯金すら難しい状況だという。朝日新聞によれば、スーパーを何軒も回って安い食材を探し、「たまには牛肉を入れたい」というささやかな願いすら叶わない生活が続いている。そんな中で彼女が考えるようになったのは、「50代のうちに、誰にも迷惑をかけずに死にたい」という思いだった。自分が死ぬことよりも、死んだ後にペットが餓死することや、大家や近所に迷惑をかけることの方が怖い。とはいえ、「余裕が持てたなら、死にたくない」とも語る。彼女の言葉からは、死を望んでいるわけではなく、「孤立を選ばざるを得ない生活」の先に見える諦めがにじんでいる。

孤独は「未然に防げる病」か?

朝日新聞の記事では、エミさんのような人が増えていることを背景に、NPO代表が「孤独死は防ぐのが難しいが、人と人との関係をつくろうとする意識が大切だ」と語っている。エミさんも当初は「誰かと関わるのが怖い」と感じていたが、LINEでの安否確認という緩やかな関係性には、安心感を得ているようだ。スマホひとつでつながる見守りサービスは、現代に適した孤立対策として注目されている。とはいえ、問題の根は深い。非正規雇用の拡大、福祉制度からの距離、家族関係の希薄化といった社会的背景が、彼女のような人々を孤立へと追いやっている。「孤独=個人の問題」と片づけるのではなく、構造的課題として受け止める視点が求められている。

サイト管理人

エミさんの話から見えてくるのは、「死にたい」のではなく「生きている実感が持てない」日々を生きる現役世代の姿です。孤独死を防ぐためには、制度だけでなく「あなたは独りじゃない」と伝える社会のまなざしが必要です。

孤独死リスクの背景にある社会構造

「誰にも気づかれない孤立」という現役世代の現実

孤独死が「高齢者だけの問題ではない」と知ったとき、私は最初に戸惑いを感じました。実際、私たち現役世代は仕事をしていて、社会ともつながっているように思っていたからです。けれども、朝日新聞の記事によれば、2023年上半期に孤独死とされた人のうち、4人に1人が15歳〜64歳の「働き盛り世代」でした。

これは、ちょっとショックな数字です。家族がいない、友人が少ない、それだけではなく、「誰にも気づかれずに死ぬ」ことが、すぐそばにある現実だということです。

なぜ、現役世代で孤独死が起きるのか? 高齢者にはケアマネジャーやヘルパーなど日常的に見守る人がいますが、現役世代にはそうした目が届きません。朝日新聞が紹介した福祉学の斉藤教授の指摘によれば、数週間誰とも連絡が取れなくても「仕事が忙しいのかな」と思われて終わってしまうこともあるそうです。つまり、「誰も不自然に思わない孤立」 がこの世代の特徴なのです。

孤独は「個人の責任」ではなく社会の課題

もうひとつ、私が深く共感したのは「ライフコース型の孤立」という考え方です。誰かと別れて一人になったという「あとからの孤独」ではなく、最初から誰かと深くつながれなかった人の孤独。記事で紹介された42歳の男性や44歳のエミさんのように、若いころから家族・地域・職場すべてに緩やかに距離があり、そのまま誰にも頼れず歳を重ねてしまう。このタイプの孤独は、外から見ても気づかれにくく、深刻なまま放置されやすいのです。

そして、社会的背景にも目を向ける必要があります。非正規雇用の拡大、低収入、単身世帯の増加…。こうした構造的な要因が孤独を「個人の選択」に見せかけていますが、本当は誰もがこの流れの中に巻き込まれているのです。朝日新聞が伝えたように、「孤独は社会が生み出すリスク」であり、その有害性をもっと広く認識していく必要があると思います。

現代は「個人の自由」が尊重される時代です。でも、それと引き換えに「誰とも関わらずに生きられる社会」ができてしまったとも言えます。自分から声を上げなければ、誰にも助けてもらえない。だからこそ、「困ってる」と言える力=「受援力」が必要だと言われます。

でも私は思うのです。「困ってる」と言えるのは、安心して声を出せる場所があるときだけ。そこに誰かの「気づき」や「声かけ」があるかどうかで、人生の最終章がまるで違ってくるのではないでしょうか。

就職氷河期世代に見る「二極化」と構造的課題

氷河期世代が抱え続ける「見えない重し」

「自分は社会に必要ないのかもしれない」そんな思いを抱えながら働いている人が、どれだけいるでしょうか。
朝日新聞の記事によれば、孤独死を予感し、見守りサービスに登録したエミさん(44歳)も、まさにその一人です。

彼女は、いわゆる「就職氷河期世代」。バブル崩壊後の不況期に就職活動を経験した人たちです。記事によれば、40社以上から不採用の通知を受け、最終的に非正規の図書館司書として働き始めたエミさんの年収は200万円未満。副業をしても生活はぎりぎりで、老後どころか、明日の暮らしにも不安を抱えています。

東京大学の近藤教授が朝日新聞に語ったように、この世代の多くが安定した職につけなかったまま親の年金や支援に頼って生活しており、親が亡くなると一気に困窮するリスクを抱えています。そして困窮と孤立は、いつも背中合わせです。

この「見えない重し」は、履歴書に残るわけでもなく、本人の努力不足とも限らない。それでも、生活にのしかかり、将来への道をどんどん細くしていきます。

二極化する人生と次世代への影響

この氷河期世代の特徴は、「安定を得られた人」と「孤立に向かう人」との間に、大きな格差が生まれやすいことです。正規雇用に就き、家庭を築いた人たちと、非正規で孤立しがちな人たちとの二極化。エミさんのような立場の人は、パートナーを得ることも難しく、結果として老後に支え合える人間関係が構築できないまま、人生後半を迎えてしまいます。

しかもこれは、氷河期世代だけの話ではありません。朝日新聞によると、非正規雇用の割合は1989年には約19%だったのが、2023年には約37%に増加。つまり、安定した生活基盤を築けないまま社会に出る若者は今後も確実に増えるということです。

私自身、このデータを目にして、背筋が寒くなりました。もはや「特定の世代の問題」ではない。社会全体の仕組みのなかに、「孤独になりやすい構造」が埋め込まれているのです。

仕事が不安定、収入が少ない、家族がいない、頼れる人がいない…その全部がそろったとき、人は「孤独死のリスクゾーン」に入ってしまいます。そしてそのとき、周囲は「そんな状態になる前に助けを求めればよかったのに」と言うのです。

でも、助けを求めるにも「相手」が必要なんですよね。

支援の壁と「受援力」の課題

支援の壁と「受援力」の課題
Closeup image of a young couple reaching and holding hands

「困っている」と言えない現実

「本当は助けてほしいのに、誰にも言えない」。
これは、孤立する人たちの共通する心の声ではないでしょうか。

朝日新聞の記事でも、孤独死した男性や、見守りサービスに登録したエミさんのように、支援制度の存在自体は知っていたとしても、自分からそれに「つながる」ことができなかったという現実が描かれています。

人との関係を築くのが苦手だったり、過去に傷つく経験があったりすると、誰かに助けを求めること自体がハードルになります。しかも、現代は「自己責任」という言葉が社会に浸透しています。「苦しいのは自分の努力不足」「甘えていると思われたくない」。そうやって自分を責め、誰にも頼れなくなってしまうのです。

実際、支援の制度や窓口が整っていても、それが本当に「届いている」とは限りません。制度がある=支援が機能しているわけではない。そこには、支援を「受ける側」の力、つまり「受援力(じゅえんりょく)」という新たな課題があります。

支援は「気づき」から始まる

では、「受援力」が低い人に、どう支援を届けていけばいいのでしょうか。
その答えの一つが、朝日新聞で紹介されたNPO法人「エンリッチ」の取り組みにあると感じます。

エンリッチでは、LINEを使って安否確認をするシステムを提供しています。本人が「OK」をタップするだけで、元気でいることがわかる仕組み。逆に返答がないときには、スタッフがメールや電話で連絡し、最終的には訪問支援につなげる場合もあるそうです。

この「ゆるやかな見守り」は、まさに現代に適した支援のかたちだと思います。手を伸ばせない人に対して、支援のほうから「そっと近づく」。強引でもなく、放置でもない。そんな絶妙な距離感の支援が、これからの時代に求められているのではないでしょうか。

ただ、それでも支援が届かないケースはあります。地域や行政の支援制度を知らず、SNSやスマホにすら触れていない人もいる。だからこそ、支援は「制度の充実」だけではなく、「気づく仕組み」を整えることが重要なのです。

職場、学校、アパート、町内会どこにいても、「あれ、あの人最近見ないな」「元気かな」と思える関係性が、命を救う一歩になるかもしれません。

民間サービスと地域の可能性

テクノロジーで生まれる「つながりの代替」

「誰かとつながっていたい」けれど、直接会ったり電話をしたりするのはハードルが高い――そんな人にとって、テクノロジーは今や救いになり得ます。

朝日新聞の記事によれば、NPO法人「エンリッチ」が提供するLINEを活用した見守りサービスは、そうした人々の不安をそっと和らげています。仕組みはとてもシンプルで、LINEで「OK」をタップするだけ。返信がなければ、スタッフがメールや電話で確認し、それでも反応がなければ訪問を検討するというものです。

この「ゆるやかなつながり」が、孤独を感じる人の心のよりどころになっています。実際、登録者の中には「死んでも誰にも気づかれないと思っていたけれど、このサービスがあることで少し安心できた」と語る人もいるそうです。

特に印象的だったのは、LINEで「大丈夫?」と声をかけられたとき、エミさんが「誰かが気にかけてくれている」と感じたというエピソード。たった一言のメッセージが、孤独のどん底にいた彼女を少しだけ明るい場所に引き戻してくれたのです。

テクノロジーは、人の温もりを完全には代替できないかもしれません。でも、心の距離を埋めるための「きっかけ」にはなり得る。そんな希望を感じさせてくれる事例です。

地域と企業、そして「誰か」ができること

もちろん、見守りサービスだけで孤独死を完全に防げるわけではありません。もっと大切なのは、「気づく人」が地域や職場に一人でも増えることです。

朝日新聞の記事では、エンリッチの代表が「大切なのは、命に関心を持ち続けること」だと話しています。これがまさに本質だと感じました。孤独死を防ぐには、「制度」や「サービス」だけでは足りません。それらを使いこなせる土壌、つまり「人と人との関係」が必要なのです。

町内会や自治会、地域の高齢者見守り活動、あるいは会社の同僚やシェアハウスの仲間。どんな小さなコミュニティでも、「最近あの人見ないな」と気にかけることが、最初の一歩になります。

さらに、企業もできることがあります。福利厚生として見守りサービスへの加入支援を行ったり、従業員の孤立リスクをチェックする取り組みを進めたりと、間接的な支援でも十分意味があります。すべてを行政任せにせず、民間と地域が連携する仕組みがこれからますます重要になっていくでしょう。

そして、私たち一人ひとりにもできることがあります。それは、隣人や職場の仲間、SNSでつながっている誰かに「最近どう?」と声をかけてみること。それが、誰かの「最期を変える」かもしれません。

私たちにできること

「孤独死」と聞くと、どこか遠い世界の話に思えてしまうかもしれません。でも、実はとても身近な問題であり、誰の隣にも起こりうる現実です。

だからといって、私たち一人ひとりが何か大きな支援活動を始めなければならない、というわけではありません。朝日新聞の記事で紹介された事例から見えてきたのは、「ほんの小さな行動」こそが、大きな意味を持つということです。

たとえば、たまにしか会わない友人や親戚に「元気?」とLINEを送る。アパートの隣人に軽く会釈をする。町内会の掲示板を少し気にしてみる。職場の同僚の元気がなさそうだったら、「大丈夫?」と声をかける。そのひと声、そのひと手間が、誰かの孤立に歯止めをかける「きっかけ」になるかもしれません。

また、地域の見守り活動や自治会なども、実は孤独のサインをキャッチする大事な拠点です。大がかりなことをせずとも、「気にかける」「思い出す」だけで、私たちは孤独死を他人事から自分ごとに近づけることができるのです。

大切なのは、「支援する側」と「される側」に明確な線を引かないこと。「お互いさま」の気持ちで関わることで、人はつながりを感じやすくなります。支援も見守りも、もっと緩やかでいい。もっと自然体でいい。

その一歩が、明日誰かの命をつなぐかもしれません。

私たちにできる小さな行動
  • LINEやSNSで、たまに連絡を取ってみる(元気?と一言だけでも)
  • 近所の一人暮らしの人に軽い挨拶をする・話しかける
  • 職場や学校で“ちょっとした変化”に気づく習慣を持つ
  • 地域の見守り活動や防犯パトロールにゆるく参加してみる
  • 民間の見守りサービスや支援制度の存在を知っておく
  • 「困っている人がいたら頼っていい」と言葉で伝える
  • 「あなたはひとりじゃない」と感じさせる空気をつくる

孤独死を「自己責任」で終わらせない社会へ

今回ご紹介した事例は、決して特別な人たちの話ではありません。働いていても、家族がいても、社会とつながっているつもりでも、人は簡単に孤立してしまう。
それが今の時代の怖さだと、改めて感じさせられました。

朝日新聞の記事が伝えたように、孤独死は「社会の側に要因がある」問題です。それを本人の弱さや運の悪さで片づけてしまっては、これからも同じことが繰り返されるでしょう。

大切なのは、社会全体が気づく力を持つこと。そして、「孤独死を出さない地域」をつくるのではなく、「孤独に気づける人がいる地域」を目指すことです。

たった一言の「大丈夫?」が、命を救うこともある。
私たちができることは、本当はそんなに難しいことではないのかもしれません。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

2000年から活動しているフリーランスのウェブ屋です。2000年台の早い時期から遺品整理業者、特殊清掃業者のウェブサイト制作をいくつも手掛けてきました。そんな経験から遺品整理や特殊清掃の業界になつわる様々な話題を記事にしています。遺品整理に悩まれている方の助けになればとサイトを運営しています。

目次